私の本棚

出会った本の数だけ自分をアップグレード! 赤羽氏の「ACTION READING」を基にした 読書記録のブログ

『風が強く吹いている』三浦しをん(2006)

寄せ集めチームで箱根駅伝出場を目指す青春小説。
個性的な登場人物も魅力的だし、ジャンプ系漫画を少し品良くしたクスっと笑える場面もあり、グッと感情がこみ上げて鼻の奥がキーンとする場面もありであっという間に読了。
これまで箱根駅伝に全く興味はなかったけれど、夢を形にしていく清瀬君とその夢に引き込まれる事で自分の殻を破り始める走君の、アスリートとしての孤独や葛藤をとても爽やかに描いている。読み終わった後の心の爽快感はたまらない。


三浦しをんさんは感情や場面の雰囲気を言葉巧みに表現することに長けている気がする。物書きさんなら当たり前なのかもしれないけれど、彼女が選ぶ言葉が私にはかなりツボる。
例えば、”新しい生活がはじまることへの恐れと不安が、走と一緒に湯に浮いている”という表現。私も思い返してみると、昼間は一人暮らしを謳歌しているように思っていても、湯舟に浸かる(特に3点ユニットバスの薄暗くて狭い浴槽に無理くりお湯をはって浸かる夜)と、無意識に張っていた緊張感が解け、”一人”という不安と孤独を感じやすかった。

また、清瀬君が倒れてしまった時の周囲の人たちの様子を、”釈迦の入滅を知った森の動物たちのように”というのも、すぐに情景が頭に浮かんできて笑いが抑えられなかった。

刺さる言葉も沢山あった。
”届かなかったと感じる限りは無限に「次」があるのだ。”
"強さとは、苦しくてもまえに進む力。自分との戦いに挑み続ける勇気。目に見える記録ではなく、自分の限界をさらに超えていくための粘り。”
”どんなに支えてもらっても、プレッシャーを跳ね返すのは、結局は自分しかいませんよ。”

 マラソンはず~っと苦手だけど、そんな私への一筋の光的な一説が小説の中にあったので、備忘録として記しておく。

”毎日じっくりと自分の体と向き合い、練習を積み重ねていかないかぎり、長距離では大成できない。あらゆるスポーツで天分が必要とされるが、およそ長距離ほど天分と努力の天秤が、努力のほうに傾いている種目もないだろう。”

 

また走ろうかな。
ハーフマラソンリベンジしたい。

 

風が強く吹いている

問題集に採用される本は面白いのか?

小学校3年生の娘が、9月~1月まで週1日、算数と国語の塾に通っていた。
その時に頂いた国語のテキストにはどんな本からの抜粋が載っていたのか、今後の参考の為に、備忘録として残しておこうと思う。

①物語文「窓ぎわのトットちゃん」黒柳徹子←〇多い

②物語文「おはよう大ちゃん」大石真←〇多い

③物語文「小さな町の風景」杉みき子 ←〇多い

④説明文「動物のへんそう」丹野節子 ←×多い

⑤説明文「森は生きている」富山和子 ←〇多い

⑥説明文「かたいものやわらかいもの」井上祥平 ←〇多い

⑦物語文「くちぶえ番長」重松清 ←×多い

⑧物語文「花さき山」斎藤隆介←〇多い

⑨物語文「一つの花」今西祐行(戦争)←×多い

⑩説明文「チンパンジーと道具」西田利貞←〇多い

⑪説明文「ふしぎなことば ことばのふしぎ」池上嘉彦←×多い

⑫説明文「まん画」手塚治虫←×多い

 

物語文の中では、暗に意味を込めており真意を問うもの
説明文の中では、言語など抽象概念のトピックが苦手な様子。
当たり前か。3年生だもの。裏の意図なんて汲んで会話をしていたら逆にビックリ。
この段階から、どんどん理解力が深まっていくのだろうと思うと、これから数年間の心の成長は目まぐるしいものがある。

ところで、重松清さんは小5の息子の公立小学校国語の教科書でも取り上げられていたので、児童書の超重要人物なのであろう。覚えておきたい。

『窓ぎわのトットちゃん』黒柳徹子(1981、改訂版2008)

「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ。」
これは、トットちゃんが小林校長先生に言われ、ずっと心の中で支えにしてきた言葉だ。

私もこれまでの人生、沢山の先生に出会い、育てて頂いた。
けれど、人生の指針になるような言葉はあまり覚えていない。感度の高い学生だったらきっと何かしら刺さる物があったと思うのだが。自分の記憶力を呪いたい。

さて、この本は黒柳徹子さんの児童期について、通っていたいトモエ学園のユニークな教育方針やお友達を交えて書いた回顧録である。現在の黒柳さんのご活躍を拝見すると、小学校を退学になった事や後先考えず突き進んでしまう事など ”やはり黒柳さん!小さい時から普通ではなかったのですね!!”と疑いもなく良い意味で賞されるだろう。しかし、子育てとは先が見えないトンネルを、どこに向かっているかもわからない状態で進み続けるようなもの。私がトットちゃんのお母さんだったら、毎日ため息と怒号の連続だったかもしれない。

メディアに出てくる子役は可愛くてお利口さん(に見える)。作られたものと現実のギャップが大きいのは当然の事なのに、初めて子育てする人はそれを受け入れられずに狼狽える。自分の育て方が良くないのではないか、学校に入っても馴染めないのではないか。周りの子みんながわが子よりも優秀に見えて、このままではダメだ、、、このままでは、、、と焦る。余裕がないのはいつも大人の方だ。子供は柔軟だから、大人の束縛を受け入れてしまう。自分の個性を手放す事と引き換えにして。

この作品は推薦図書になったり中学入試問題に採用されたりと、小学校高学年あたりの子から触れる機会があるのだが、母親11年目の私から言わせて頂くと、妊娠希望や妊娠中のお母さんに是非とも読んでほしいと思う。
私は自分の児童期の記憶が断片的にしかない。でも、幸い黒柳さんは当時の出来事やその時の感情の記憶がとても鮮明で、パッと見ると子供の問題行動だと捉えられてしまう事にも、そこには大人が気付かない”小さな意思”があるのだと教えてくれる。

それから、当時では受け入れられなかったであろう事(ご飯はおしゃべりをしながら楽しく食べよう!とか女の子には優しくしよう!とか)でも、校長先生が外国で見聞きし、これからの子供たちの世界に必要だと感じたものを積極的に取り入れていく姿勢も大変参考になる。

トットちゃんが教えてくれた ”こどもごころ” を忘れないように記録しておく。
(「」の中は引用)

〇落語が楽しくてたまらないトットちゃん。大人はこんな難しい話を子供が理解できるのか?と思うかもしれないけれど、「子供はどんなに幼く見えても、本当に面白いものは、絶対に、わかるのだった。」

〇学校のみんなで温泉旅行に行った時の事。学校の外は未知の世界。様々な困難にぶち当たる。「そのたびに、みんなは、どうしたら、いちばん自分が役に立つか、考えた。」

〇小林校長先生のリトミック導入への思い:「文字と言葉に頼りすぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではないだろうか?世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず・・・の類である。」

トットちゃんママの思い:「それにしても、大人なら、疲れるだけで、なにが面白いか、と思えるこういうことが、子供にとっては、本当に楽しいことなんだから、なんて、うらやましいこと・・・。」

この本の中で、特に好きな場面は「大冒険」と「運動会」。何度読んでも涙が出る程心が動かされる。
友達の為に自分は何が出来るのか最大限考え抜く。
生まれ持ったハンディキャプを、負け惜しみではなく心から”自分の個性だ”と言える。
大人の皆さん、子供たちが子供たちらしく大人になった世界はどんなだろうかと考えると、自然と笑顔になりませんか?


(買切) 新装版・窓ぎわのトットちゃん

 

 

 

 

『楽園のカンヴァス』原田マハ(2014)

原田作品に登場する人物は、幼少期から絵画に惹きつけられ、のめり込み、離れられなくて仕事にしちゃいました的な、正しく私の憧れる人生を歩んでいる人たちばかり。

自分とは違うんだと思いながらも、その憧れに引っ張られて、物語にもぐいぐい引き込まれる。原田マハさんの本を紹介してくれた友人が「出てくる女性たちが本当に素敵でね。」と言っていたけれど、原田作品3冊目にして、出会ちゃいました!私、本作品の準主役・織絵の生き方、かなり好きみたい。

 

さて、名画名画と巷ではよく耳にするけれど、じゃあ名画って一体何なのか。
古くて、有名な画家が描いたものが名画なの?
だとしたら、名画だと言われているものを、名画だと思って見るしかないの?
私の疑問に、本作品の中で原田さんは答えてくれている。

””名画は時として、人生に思いがけない啓示をもたらしてくれる。
構図や色彩やバランスや技巧の秀逸さばかりではない。
時代性、対象物への深い感情、ひらめき、引きの強さ、言うに言われぬむずむずした感じ。見る者の心を奪う決定的な何かが絵の中にあるか。
「目」と「手」と「心」この3つが揃っているか。
それが名画を名画たらしめる決定的な要素なのだ。””

名画の定義。恐れ入りました。
私も自分の目と手と心でいつか名画を発掘してみたいと思う。

 

最終章で、織絵と亡き父との思い出を回想するシーンにも、私の長年の疑問を解決してくれる文があった。

””こんなにいっぱい絵があったら、どれを見たらいいかわかんないよ?””
””どんな人込みの中でも、自分の大好きな友だちを見つけることはできるだろう?
この絵の中に、君の友だちがいる。そう思って見ればいい。それが君にとっての名作だ。絶対に目を閉じちゃいけないよ、見つけられなくなるからね。さあ、よく見てごらん。君の人生の友はーどこにいるかな?””

美術館に行くと、作品の圧倒的な数の多さにクラクラして、どの作品を見たらいいかわからないくなる。わからないからとりあえず「国宝」とつくものだけは外さずに見ておこう、とこんな具合な方も多かろう。
次に子供と美術館に行った際は、織絵の父の言葉をかけてやりたい。
もしかしたら、子供の人生の友に会うきっかけを作ってあげられるかもしれないから。

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

『暗幕のゲルニカ』原田マハ (2018)

二つの時代を行ったり来たりしながら展開するアートサスペンス。
どちらの時代の情景もありありと浮かんでくる表現の巧みさで、ハラハラドキドキが止まらなかった。

「芸術は武器」なのか。ピカソ、あなたすごいわ。
芸術は教養であり、成長の糧であり、ひと時の逃避場所。
武器だなんて思った事、一度もなかった。
けれどこの本で、ピカソやドラや瑤子が教えてくれた。
芸術は、言葉よりももっと強力なメッセージを世界中に響き渡らせる事ができるって。
作家・画家が何を表現したくてこの作品を作ったのか。
どうしてこの作品がこの時に出来上がったのか。
世の中に何を伝えたかったのか。
もっと作品の奥深くにあるメッセージを感じ取れる人になりたい。

戦争の時代を生き抜いた人たちは、やっぱり私たちとは違う。うまく言葉で表現できないのがもどかしい。
今私たちは、呑気にのほほんと民主主義の国に暮らしているけれど、ほんの80年前は戦争していた。ほんと忘れがち。

9.11の日、テレビニュースを見ている兄に「何?何の映画見てるの?」と聞いた。あの飛行機の衝突映像は今も忘れられない。
数年後、グラウンドゼロに行った。本当に何もない更地になっていた。ここに数千人の人がいたなんて、信じられなかったな。

 

さてさて、「たゆたえども沈まず」も良かったけど、やはり20世紀~現在のお話は自分と重ねやすい。読んでいて本当に心が震えた。
ラスト、鳩の絵が瑤子の元に届けられた所は泣きました、私。

次は「楽園のカンヴァス」読むぞー!!!

暗幕のゲルニカ

『歌集 滑走路』萩原慎一郎(2017)

今回は友人の勧めで、2020年11月に映画化される予定の詩集(詩集を映画化って、どゆこと?)を読んでみました。

著者は、御三家と言われる有名私立中高一貫校に通っていたのだけれど、いじめにあってしまい、そこから精神的に不安定な日々を送ります。
有名私立大学を卒業するも思ったように働く事ができず、3年前に自死してしまったという・・・重い・・・

頑張ろうって自分や非正規で働く仲間たちを鼓舞する歌もたくさんあったのに、どうして死んでしまったんだろう。
ご両親からのあとがきも、親となった身からすると読んでいて本当に辛い。

私、詩集って初めて。
もちろん昔の人が作った作品は国語の教科書で習ったけど、自分と同世代で、同じ”今”を生きている(生きていた)人の作品って、とても感情移入しやすい。
心にグッと迫る作品がいっぱいでした。

 

”消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ”

”葡萄狩しているわれらこの手もて「過程」を知らず「成果」もぎ取る”

 

”紐引けば花咲くように電灯のともりて学びの時間になりぬ”

”思いつくたびに紙片に書きつける言葉よ羽化の直前であれ”

”平凡を嘆きたる夜に非凡なるひとの書を読む近付きたしと”

くぅぅぅ~!勉強してると思うよね。特に一生懸命やってる時はね。

 

”遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから”

”遠くにいるきみと握手をするように言葉と言葉交換したり”

恋の歌。両想いの時よりも片思いの時の方がふわふわしてる。

 

”ぼくたちはロボットじゃないからときに飽きたり眠くなったりするさ”

”ずたずたとなってしまったミキサーのなかの人参みたいなのです”

”屈辱の雨に打たれてびしょ濡れになったシャツなら脱ぎ捨ててゆけ”

こんな風に思いながら頑張って踏ん張ってる人いっぱいいそう。
萩原さんはそんなみんなのよき理解者だったんだよね。

(すべての出典:歌集 滑走路)

 

読み進めると誰しも思うと思う。
萩原さんって本当に優しい心を持った人だったんだなって。
萩原さんの目を通して世の中を見る事ができたら、私の人生も変わてくるだろうなって。

巻末の又吉さんの解説。詩集初心者の方は是非ご一読を。
詩集を読む際のよい指南となっています。

 

歌集 滑走路 (角川文庫)

『深夜特急1』沢木耕太郎(1986)

 沢木耕太郎さんとの出会いは、VISAカード会員に送られてくる月刊情報誌の「feel 感じる写真館」にて。今回深夜特急を読んで、まず最初に思った事は、沢木さん、好きが仕事になって、もう30年以上現役なんだ。すげー。でした。

 今回は1994年に出された文庫本を手に取りましたが、巻末にある対談の起こしが読み応えがあって面白い。そこで紹介されている沢木さんの”旅のスタイル”を忘れないようにメモしておきたいと思います。

 ”どこへ行くにも地図を持っていかないし、ガイドブックの類もほとんど読まない。
空港でも駅でも、到着したら街の中央にはどう行ったらいいのかを誰かに聞いて、そこに行く。そうすると何かが起きるじゃないですか。その’何か’に導かれるようにして泊まるところが決まってくる。そうすれば、あとは歩くこととバスに乗ることでだいたいの街の感じをつかむことはできるし、自由に動いていくことが可能になる。”

 いいな、いいな。ガイドブックを見ない旅。
トライしたことはあるけれど、一緒に行った友達の情報に頼る&知識不足で学びの機会が減ったという結果に終わった苦い経験から、下準備が大事なんだ!と、それ以降の旅ではガイドブックにどれだけ付箋を付けるかに命をかけていました。

でもねー。旅行が終わった後残る感情って、”付箋付けた所は一通り周れたな”とか、”買いたかったお土産は一通り買えたな”とかなのです。そこに違和感を抱いていたのも事実。
沢木さんの言葉を借りるなら、” 友人たちと1カ月ほどスペインを回ったことがあったんだけど、そのときの経験は、一行だね。「面白かったな」と。ただそれだけ。”

 そう!それですよ沢木さん!!

 そんな沢木さんでも、ざっくり旅のスケジュールを立てようと試みたそう。でも気づいたんだって、計画通りに動くくらいならこんな旅をする必要はないって。もう一切予定はたてまいって。26歳の彼が望んだのは、”中途半端な賢明さから出して、人のためにもならず、学問の進歩にも役立たず、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもない、何の意味もなく、徹底した酔狂の側に身を委ねる旅”だそう。”真剣に酔狂なことをする旅”。ロックだね。

 この著の中にバッグの中身リストがあって、3冊の本を持っていたと記載があります。
・西南アジアに関する歴史書
・星座についての概要書
・中国詩人選集『李賀』
私だったら何を持っていくかな~

 

 家族が出来ると、安全な国・小奇麗なホテル・外国人観光客が多いエリアをメインで回る旅が多くなるけれど、公立の中央図書館を覗きに行ったり(英語圏ではない国の図書館で、英語の絵本がどれだけあるかでその国の英語教育の水準が少しわかってきます)、現地の人が利用する乗り物を積極的に利用したり(タクシーだけでは地図が全然頭に入ってこない!)と、沢木さんの旅スタイルに少しでも近づけるよう、私の旅もアップデートしていきたいと思います。