私の本棚

出会った本の数だけ自分をアップグレード! 赤羽氏の「ACTION READING」を基にした 読書記録のブログ

『徒然草』兼好法師(鎌倉後期)

古典文学は敷居が高い。だけど教養として一度は読んでおきたい。
こう考える日本人はきっと多いはず。
そんな時は、図書館の児童書コーナーを是非のぞいてみてほしい。
文字も大きく、難しい言葉も少なく、挿絵も可愛い古典の本がずらり。

 

今回は、表紙に描かれた素敵なお坊主に惹かれて『徒然草』を読んでみた。

 

兼好法師は元々神社の息子だった。それが仏の道へ進むことになった背景には、日本の伝統文化である「神仏習合」があったという。諸外国も、この点については日本を見習って、他宗教同士もっとうまくつきあっていってほしい。

また、「もうこの世に未練はない」だの「この世に嫌気がさした」だので出家する場面をよくイメージするのだが、隠者は、世の中から離れ、孤独が好き(=人間が嫌い)なのではなく、「人の世のしくみ」が嫌いだという。なるほど。

 

これは物語のようにストーリーがある訳ではなく、随筆(今でいうblogのようなもの)なので、個々のエントリーの中から覚えておきたい事を備忘録として記載しておく。

 

「第145段(未来を見ぬく力)」

人間の観察力など、実に当てにならない。ただ、日頃から自分の目指す道に真剣に取り組んでいるものは、その道の事について、いつでもよく観察し注意している。

どんなに平凡でありきたりな事でも、それを最初に見抜き、その意味に気づけるのは、その道に本当に通じてる一流の人なればこそ、という事。

あとからそれを教えられて、「なんだ、そんなつまらないこと」などと軽く考える者は、所詮はその道の素人にすぎない。

⇒「こんな見方があったのか!」ではなく「そうそう、そうなんだよね~」と思う事って結構ある。的確に言葉にし、人に伝える事ができる人こそ、1歩先を行く人なんだろうな。

 

「第235段(心の乱れを生む原因)」

集中しなければけない時に限って雑念がうかんでしまう原因は、自分の心に隙があるから。主のいる家と不在の家を比べると、不在の家には勝手にいろんなモノが上がりこんでくる。家を心、勝手に上がりこんでくるモノを雑念と考えるとわかりやすい。

人の心はもともと空っぽ。だからそのまま放っておくと、どうでもよい雑念が入り続けてくる。だから、人生の信念(=心の主)をしっかり持たなければならない。

⇒息子に切に伝えたい!

 

「第12段(語り合いの楽しみ)」

誰かと語り合う。これは、言葉を知らぬ動物には決して味わえない、人間だけが神仏より頂いた楽しみであり、大きな喜び。話題そのものが大切なのではなく、その友と語り合っているという事実が喜び。互いに何の隠し事も裏表もマウンティングも持ち合わせていない相手とおしゃべりする。これほど心を慰められる事はない。

⇒夫婦でお互いをそういう存在だと思えたら、人生最高!

 

徒然草 (すらすらよめる日本の古典 原文付き)