私の本棚

出会った本の数だけ自分をアップグレード! 赤羽氏の「ACTION READING」を基にした 読書記録のブログ

読書会『ひとはなぜ戦争をするのか』@2020.5.24

人生初めての読書会なるものに参加してみた。
同じ本をみんなで読んで内容や感想をシェアする会。

コロナの影響で、Zoom開催となり、参加費も大幅に下がっていたので(主婦にはここも大事!)早速参加表明。

参加者はホスト入れて3名(お一人ドタキャン)。
ホストが最初に課題や質問を2つ投げかけ、30分程度各人で思考し、シェアする。
提示された課題は下記の2つ。

 ・アインシュタインの考える解決策は?(読解できているか確認)

 ・フロイトの代わりに、アインシュタインに手紙を書こう(自由発想)

いろいろな話題に展開し、2時間の予定が30分オーバーで終了。
参加人数は片手で数えるぐらいがいいのかもしれない。

意見交換で出てきたものを備忘録として記しておく。

 ・フロイトアインシュタインユダヤ人だったので手紙の相手に選んだのでは?

 ・解決できる時期じゃない場合は”棚上げ”をしてきた=人類の知恵

 ・多様性が増えると説明責任も増える

 ・相対主義は他人への無関心なのではないか?

 ・個々人の寛容性が大事

 ・実は日本の”和を持って尊しとなす(聖徳太子)”精神に期待が集まっている

  ⇒調和、ハーモニー、空気を読むなど、日本人は遺伝子レベルでできる民族

 ・善悪の二項対立ではなく、バランスが大事。どちらかに固執するのはNG 

 ・なかなか手に取ることのなかったブレイディみかこさんの
  「ぼくはイエローでホワ イトで、ちょっとブルー」の読書会が盛り上がった

 ・カントなどの超難しい本じゃなくても、
  オルテガトルストイの本で読書会をしたい

 ・哲学書 みんなで読めば 怖くない(笑)

 

課題にあった通り、アインシュタインに手紙を書いてみた。

あなたがフロイト氏へ手紙を書いた頃から90年経ちましたが、世界では戦争や内戦が続いています。

国際連合」という機関ができ、世界規模の問題を話し合う会議もたくさん開かれていますが、自国の利益を損なう場合は参加しない国もあり、民主主義国と社会主義国の対立も未だ顕著のままです。

日本はアメリカの核の傘の下にいるので、わが手を染める事はないけれど、結局は核に守られているという事実を受け止めなければなりません。日本が誇りにしていた平和憲法も、いつ改憲されてしまうかわからない状況にあります。

私は世界中の人々と仲良く暮らしたい。

自分の国の素敵な所を紹介しあいながら、自分の家族を自慢しあいながら、笑って過ごしたい。でもそれは、遠い世界の誰かの犠牲がなければ実現しないのでしょうか?私たちの生活は、搾取なしには成り立たないのでしょうか?

 経済は成長し続けなければならないという考えをやめて、維持する経済・シェアする経済をみんなで考えていく事はできないでしょうか。

 

オンライン読書会は、参加の敷居が低いので、これからも見つけたらどんどん参加したい。そこで雰囲気の良い読書会を見つけて常連になったり、将来的には自分で読書会を企画したりできたらなと思う。

『平家物語』信濃前司行長?(鎌倉前期)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

日本で高等教育を受けた人なら8割方暗唱しているフレーズではないだろうか。
この続きを言える人は3割切る気がするけれど(かく言う私もその一人 笑)。

平家物語は、平家の滅亡を描いた「軍記もの」というジャンルの最初の傑作だそう。
フィナーレを飾る「壇ノ浦の合戦」の地にゆかりのある者として、読んでおく義務があるだろうと、30代半ばにしてやっと書籍を手にとってみた。

ただなぜだろう。断片的だけれど、チラチラと記憶に残ってる部分がある。
特に、那須の与一が扇を射る場面では「ひいふっとぞ射きったる」という原文まで浮かんでくる。そうだ、古文の授業で習っていたのだ。
白石先生ありがとう。でも、これしか覚えていなくてごめんなさい!!!

 

読み進めると思うのだが、平氏の力に陰りが見え始めると決まって「栄えていた者はいつか滅びるものだ=盛者必衰(じょうしゃひっすい)」「この世のものは、どんなに強く立派でも、決して永遠にそのままではいられない=諸行無常(しょぎょうむじょう)」と前置きがある。せっかくタイトルに「平家」という冠を付けたのだから、もっと華々しくサッと散るようなカッコいい描き方をすればいいのにと若干フラストレーション。

あとがきを読むとその理由がわかった。

その当時、自然災害が多発し”滅ぼされた平清盛の亡霊のたたり”だと考えられていたので、その亡霊の怒りを鎮める為に僧侶が行長を雇って『平家物語』を書かせた(諸説あり)というのだ。これなら納得。こういう豆知識があるのとないのとでは、作品に対する臨み方が全く違ってくるので、はじめにとあとがきは必読だ。

 

1000年以上前の戦の記録だが、「富士川の合戦」は、今も昔も変わってないじゃないか!と笑ってしまう。
川を挟んで平氏と源氏が待機し、総攻撃に備えて準備をしていた。
平氏軍の数は源氏軍よりはるかに多く、誰も負け戦だとは思っていなかった。
しかし、源氏軍が「あまりに野蛮で強硬で強者揃いである」というウワサが蔓延し、見えない敵に対する不安がもくもくと大きくなっていった。
そしてついに、対岸で沢山の火が上がったのを見、大きな水しぶきの音を聞いて、源氏の奇襲攻撃だと大慌てで逃げ出したという。

でもこれ実は、平氏軍の勘違い。この火は、戦を恐れて野宿していた農民の煮炊きの火で、大きな音は水鳥が一斉に飛び立った音だった。なんだか落語のオチみたい。

とは言え、笑っちゃいられませんよ?
ツイッターのデマに踊らされて、不安が不安を呼び、買いだめに走る事って実は平氏軍の心理と同じ。
見えない敵とは心の中にある不安で、不安をエサに、その敵はどんどん強敵になる。
コロナウィルスで心も体も参ってくる頃だけれど、見えない敵の強さをきちんと判断できる心持ちで生活していきたいと思う。

 

平家物語 (すらすらよめる日本の古典 原文付き)

※昔から、今日の都で騒ぎが起きた時は奈良にある吉野の山で静かに過ごすのがよいってこの本に書いてあったから、喧騒を忘れに吉野に行ってみたいと思う

『俯瞰力』やましたひでこ(2011)

「ちっちゃい子二人いるのにスッキリ片付いてるよね!」ってよく言われた。

でも私は知っている。

必要な時に必要なモノが見つからず、イライラしているコト。
子供部屋が、物置部屋になっていて、開放厳禁なコト。
お客さんが来るときは、とりあえず目に入る不要なモノを紙袋に入れて、物置部屋に押し込んでいるコト・・・orz

この状況を何とかしたいと、当時ブームだったこんまりさんの本を読んで、そのメソッド通りに片付けを進めていった。「ときめき」を基準にモノと対峙して取捨していく方法は、断捨離初心者にとってとても簡単で、実践しやすかった。

ただ、断捨離がある程度進んでいくと、ときめきだけでは選びきれない時期がくる。家族のモノ、実家のモノ、今はもうこの世にいない人の遺してくれたモノとどう向き合っていくか。

最近は特に、「ときめき」だけではない、また別の基準が必要だと感じる事が多くなっていた。また、断捨離のその先はにミニマリストしかないのか?という素朴な疑問も持つようになっていた。

この2つに答えをくれたのが、この著書だった。

恥ずかしながら、「断捨離」という言葉が、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」からきている事、断捨離という言葉は著者のやましたひでこさんが提唱されたものだという事もこの本で知った。

「他人が決めた商品価値」ではなく「自分が考える利用価値」を基準にモノと向き合うという姿勢を教えてくれた事、断捨離の先にあるのは、”何もない部屋”ではなく、俯瞰力を身に着けて、物事を三次元的に考える事ができるようになった自分であるとわかった事が、この本からの収穫であった。

 

※俯瞰力とは、「モノ主体の近視眼的な視点から、「私」を軸にして空間を的確に捉え、深い洞察・高い視点・広い視野へと移行していく事ができる力」
「必要なモノ・コト・ヒトを必要なだけ、必要な時に、意図的に使いこなせる力」
これは断捨離を進めていく過程で身についていくと著者は著作の中で言っている

 

新・生き方術 俯瞰力 続・断捨離

『枕草子』清少納言(平安中期)

1000年前の時代を生きた女性が、何を思い、何に喜び、何を憂い、何に思いを馳せたのか。
31文字の世界から飛び出して、筆者の見る世界を随筆という形でもっと自由に軽やかに表現したこの作品は、現代を生きる私たちが見過ごしてしまっている日々の「をかし※」にたくさん気づかせてくれる。

 

下記、素敵だなと思った箇所を備忘録として。

「232段(牛車にゆられて:月明かりバージョン)」
月明かりの綺麗な夜に、外の空気を吸いたくてお散歩に出た際に、牛車が浅い川の渡る際に水しぶきをあげる。その跳ねる無数の水玉が月明かりに照らされて、まるで水晶が砕け散ったいるかのようにとても美しい。
⇒”キラキラ”の表現力が凄まじい。その一瞬の光景に心から魅了されている様子がありありと伝わってくる。

 

「276段(雪の日の思い出)」
出されたキーワードの意味をすぐに理解し、相手の期待に応える。メッセージを送る側と受け取る側両方がその事に精通し、頭の切れる者同士でないと伝わらない。でも分かり合えた時の嬉しさと言ったら。
⇒教養の高さと機転の利く頭。今の世でも間違いなく出世するタイプ。

 

中宮定子に仕えていた彼女は、今でいうやり手のキャリアウーマン。
話の舞台も宮中という、庶民には手の届かない華やかな世界。
リア充”をひけらかす内容なのかと思う部分もあったけれど、文中で「あなたの書き物は面白いから、ひとつ残らず書いてと読者に頼まれた故、自慢のように聞こえる話も仕方なく書いてる(から許してね♪)」とお茶目に釈明していたり、これが書かれたのは、清少納言が宮中でイジメられて、耐えられなくなって実家に戻った後で、あの頃は良かったなぁとキラキラしていた時を思い出しながら書いたという事を知ると、得意げな話も許せてしまう。

また、清少納言は優れた歌人・学者の家系に生まれたけれど、実は歌を詠むのが下手だったという。そのコンプレックスがなければ、散文という未知のジャンルを開拓し花開く事はなかったかもしれない。このエピソードは、何だか私たちに希望を与えてくれる気がする。

内容もさることながら、筆者自身の魅力もたっぷり。
枕草子のファンが多いのも頷ける。

 枕草子 (すらすらよめる日本の古典 原文付き)

 ※をかし・・・ワクワクしたり、スカっと爽快になったり、へぇっとゆかな驚きを感じたり、クスクスっと思わず笑顔になったりする心地よい感動を示した古語(あとがき参照)

 

今回は、読後にNHK『100分de名著』の枕草子の全4回を見たので、さらに記憶に残り、作品の内容も背景も深められた。

指南役として出演されていた山口仲美先生がまた魅力的で。
こんなに楽しそうに話をしてくれるとこっちまで笑顔になっちゃう。
「本当にこれが好き!」って思ってる人から教えてもらうと、頭にも心にもぐいぐい入ってきて、気が付いたら自分も魅了されてしまうってまさにこれ!
いつか先生の講義に出て、古典沼にハマってみたくなった。

山口先生がまとめて下さったエッセイストとしての条件がとても参考になったので、引用させて頂く。

・散文が得意
・人と違ったものの見方ができる
・テーマを設定するのがうまい
・観察力・批判力
・興味関心の幅が広い

『徒然草』兼好法師(鎌倉後期)

古典文学は敷居が高い。だけど教養として一度は読んでおきたい。
こう考える日本人はきっと多いはず。
そんな時は、図書館の児童書コーナーを是非のぞいてみてほしい。
文字も大きく、難しい言葉も少なく、挿絵も可愛い古典の本がずらり。

 

今回は、表紙に描かれた素敵なお坊主に惹かれて『徒然草』を読んでみた。

 

兼好法師は元々神社の息子だった。それが仏の道へ進むことになった背景には、日本の伝統文化である「神仏習合」があったという。諸外国も、この点については日本を見習って、他宗教同士もっとうまくつきあっていってほしい。

また、「もうこの世に未練はない」だの「この世に嫌気がさした」だので出家する場面をよくイメージするのだが、隠者は、世の中から離れ、孤独が好き(=人間が嫌い)なのではなく、「人の世のしくみ」が嫌いだという。なるほど。

 

これは物語のようにストーリーがある訳ではなく、随筆(今でいうblogのようなもの)なので、個々のエントリーの中から覚えておきたい事を備忘録として記載しておく。

 

「第145段(未来を見ぬく力)」

人間の観察力など、実に当てにならない。ただ、日頃から自分の目指す道に真剣に取り組んでいるものは、その道の事について、いつでもよく観察し注意している。

どんなに平凡でありきたりな事でも、それを最初に見抜き、その意味に気づけるのは、その道に本当に通じてる一流の人なればこそ、という事。

あとからそれを教えられて、「なんだ、そんなつまらないこと」などと軽く考える者は、所詮はその道の素人にすぎない。

⇒「こんな見方があったのか!」ではなく「そうそう、そうなんだよね~」と思う事って結構ある。的確に言葉にし、人に伝える事ができる人こそ、1歩先を行く人なんだろうな。

 

「第235段(心の乱れを生む原因)」

集中しなければけない時に限って雑念がうかんでしまう原因は、自分の心に隙があるから。主のいる家と不在の家を比べると、不在の家には勝手にいろんなモノが上がりこんでくる。家を心、勝手に上がりこんでくるモノを雑念と考えるとわかりやすい。

人の心はもともと空っぽ。だからそのまま放っておくと、どうでもよい雑念が入り続けてくる。だから、人生の信念(=心の主)をしっかり持たなければならない。

⇒息子に切に伝えたい!

 

「第12段(語り合いの楽しみ)」

誰かと語り合う。これは、言葉を知らぬ動物には決して味わえない、人間だけが神仏より頂いた楽しみであり、大きな喜び。話題そのものが大切なのではなく、その友と語り合っているという事実が喜び。互いに何の隠し事も裏表もマウンティングも持ち合わせていない相手とおしゃべりする。これほど心を慰められる事はない。

⇒夫婦でお互いをそういう存在だと思えたら、人生最高!

 

徒然草 (すらすらよめる日本の古典 原文付き)

 

 

【映画】麗しのサブリナ(Sabrina) 1954年

身分の違いで諦めなければならない恋を胸に、フランス留学で麗しさに磨きをかけて戻ってきたサブリナ。追いかける恋から一転、2人の男性の間で揺れ動く。

彼女のチャーミングな仕草や会話で堅物仕事一辺倒だったライナスが自分の本当の気持ちに気づいていく様子は、多少のもどかしさを感じながらも観客の顔をにやけさせるに違いない。

「追いかけるのではなく、王子に追いかけさせる」という、今までにないシンデレラストーリーを描いた作品として、戦前のハリウッド恋愛物語にはない斬新さがウケたようだが、今ではそれが当たり前の世の中なので、そういった観点での驚きはない。ただ、それが返って、半世紀経った今見ても違和感や古めかしさを全く感じさせない所以なのかもしれない。

そして、忘れてはならない「サブリナパンツ」。
ファッション界でも超重要ワードであるが、本家本物を見て思い知る。
これは、一般人には到底扱える代物ではないと。

 

『パリは旅客機じゃなく、人間を変える街よ。

       窓を開いて吸い込むのよ、バラ色の人生を』

『パリの女の子とグーローニュ森をドライブするのよ。

       雨の日のパリが一番いいにおいがするわ。栗の木のにおいよ。』

 

■PRESIDENT WOMAN 2018.11 vol.43 紹介の映画